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上位20

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カラオケの歴史

それは。日本が誇る、カラオケの発明者 井上大祐(いのうえだいすけ)さんとともに有った。特許を取らなかった、無欲の大発明者。

でも、これが世界中にカラオケが広まる一因ともなった。

A 井上さんの経歴

1940年5月10日大阪市西淀川区に3人兄弟の長男として生まれる。

1956年4月、浪速工業入学。音楽部で太鼓担当に。

あるバンドに加入したが、楽譜が読めないので何十曲も丸暗記。そしてバンドマン生活がスタートする。ダンスホール、ビアガーデンなど、様々なステージで活躍するが、1959年4月、証券会社に入社する。

しかしヤンキースタイルだったため、反感を買い、退社。バンドマンへと戻る。1968年 先輩バンドマンに誘われ、楽器の教則本を販売する会社「ミュージッククレセント」を設立。井上さんが社長に就任。しかし教則本は全く売れず、会社は行き詰る。

その当時、弾き語りが流行っていたため、オルガンを練習し、クラブでよく歌われる約200曲を、丸暗記する。そして、井上さんが楽譜が読めないことがかえって長所になった。

他の弾き語りの人達が譜面通りにしか演奏しないのに対し、井上さんは、テンポもキーも歌ってる人にあわせて弾き語りをする事ができた。

1971年 常連客より慰安旅行先で歌の伴奏に来てほしいと頼まれたが仕事があり断ったが、悩んだ末に常連客に合わせたキーとテンポで録音した伴奏のテープを渡したところ、これが大評判を呼んだ。

「この曲も作ってくれ」と製作依頼が殺到したのだ。
これはビジネスになると思い井上さんは、ギターアンプと100円で5分間動くタイマーと再生機を合体させた機械を作った。

即ち、自ら演奏した楽曲を収録した8トラックカートリッジテープを再生し、その伴奏にあわせて歌うことのできる、「カラオケ」第1号機 8JUKE の誕生であった。

その後「8 JUKE」は大ヒットする。そこで「ミュージッククレセント」を発展解消させ「株式会社クレセント」を設立し、カラオケ・レンタルを本格化させる。

クレセントがカラオケシステムをレンタルしていた店舗は50万軒。6人だった社員は66人まで急成長する。しかし、間も無く登場した「レーザーディスク」がテープに取って代わることになる。

テープからレーザーディスクへの移行は想像以上に早く、テープを取り扱っていたクレセントは倒産寸前まで一気に追い込まれてしまったのだ。

その後、企業努力により業績は回復したが、1987年社長職を辞任、自身は平社員に降格する。

平社員に降格した井上さんだったが、1991年には部長、1992年には本部長に昇進。1994年、会長に就任する。会社も年商100億円企業に成長した。1994年「株式会社クレセント」を勇退し、「カラオケ協会」(後に全国カラオケ事業者協会)設立に尽力するが、その後カラオケ業界から引退する。

B TIMEに掲載される

1999年 「20世紀で最も影響力のあったアジアの20人」として世界的に有名な TIME に掲載される。2004年にはイグ・ノーベル賞も受賞。

その功労が日本ではなく、外国から称えられることになったのだ。
「これだけカラオケが世界中に広まったのだから、莫大特許料が入ってくるに違いない。」と考える人も多い。

しかし実は井上さんはカラオケ発明の特許を取っていなかったのだ。もし特許を持っていたら100億円以上の金が手に入っていたであろう。

「特許を取るなんて思いつかんかったから、しゃーないわ。わはは!」と笑い飛ばしたという話である。

この大らかさが、カラオケ文化を世界に広めた一因だと思うと、井上さんに感謝せざるを得ない。

引退した井上さんは、現在「有限会社イノウエ」を設立し、ゴキブリ駆除機の販売、卸し業、その他を手がけている。何百万円もするカラオケ機器の内部にゴキブリが繁殖し、糞害のため機械が故障することにカラオケ業界は長年悩まされて来た。

私のカラオケ教室の機械が、ゴキブリにやられたら、恩返しのため井上さんの会社から、駆除機を買おうと思っています。